マタイによる福音書1章18~25節

マタイによる福音書は、アブラハムの系図から始まります。この系図には、4人の女性の名があり、旧約聖書のエピソードから人間の痛みと悲しみの歴史を知ることができます。神は、イスラエルに目を留め契約を結ばれましたが、それは「どの民よりも貧弱であった」イスラエルを宝の民としたということです。何度も神に背き罪を犯し続ける民をも、忍耐し、愛し続け、そして、ご自分の一人子を送ることを決心されたのです。

今日の箇所は、マリアへの受胎告知をヨセフが受けたところです。ヨセフは「正しい人」とありますが、これは「律法に忠実な人」ということです。ヨセフは、律法を守ること、守れる自分は正しいのだと生きてきたのですが、マリアの受胎を前に眠れないほど苦労します。自分の正しさが崩壊するヨセフ。しかし、私たちもそうやって自分はそこそこの人間だと自負して生きているのではないでしょうか。実は、人が自分で保とうとする「正しさ」には限界があります。その正しさが、自分や誰かを傷つけ、苦しめることがあるのです。

み使いは、ヨセフが思ってもみなかったことを告げます。「恐れず、妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿った」。自分の正しさによってマリアと縁を切ろうとしていたヨセフに、神は「恐れるな、マリアも、そのお腹の子も受け止めなさい。これこそが、あなたの、そして、すべての人々の罪を救うための私の計画なのだ。」と告げます。自分の正しさに縛られていたヨセフの罪を救い、そして、どこまでも一緒にいると、神は決意されたのです。それは、インマヌエル=神はわれわれと共におられる。の成就です。

2019年を振り返ると、愛のない悲惨な事故や事件がたくさんありました。気候温暖化の影響による天災や人災も多く、たくさんの人が犠牲になりました。また、アフガニスタンで長年人道支援を行っておられた中村哲氏が銃弾によって召されました。なぜ、このようなことが起こるのか、わかりませんが、しかし、その悲しみのただなかに、涙の中に、救い主イエス様がどこまでも一緒にいてくださいます。だから、私たちは前を向いて歩けるのです。希望は決して尽きることがありません。(2019年12月8日主日礼拝説教・M.S)