Ⅰ聖書主義
1,一人ひとりが自分自身で実際に読める喜び!~各人が聖書を読むときの主人公~
ラテン語を学んだ教職者のみに聖書解釈が独占されていた。一般市民は教職者の教理を聞かされるだけだった。しかし、自国語に翻訳されるようになってみんなが自由に聖書を読めるようになった。聖書の解釈を、教職者から一人ひとりに取り戻した喜びが根底にあるのです。初期バプテストは、それまでの教職者が構築していた教理に率直に疑問をぶつけ、聖書からお互いに聴き合う事を大事にしていました。だから、バプテストは「聖書のみ」なのです。
2,聖霊の導きによって自由に、だからこそ対話に開かれて!~全年齢層の教会学校!~
教派の教理が存在しているところは、教職者がその教理に基づいて信徒に教え込む形をとっています。しかし、バプテストは教派としての教理は持たず、聖霊の導きによる各人の主体的信仰が大切にされています。そこには多様性が生まれますし、バプテストは自由な教派だと言われるゆえんです。
だからこそ、自分の「読み」を絶対化することなく、互いの違いを尊重しつつ、その違いを持つ者との対話に開かれ続けながら、聖書の語り掛けを共に聴いてゆく、このことを当初よりバプテストの先達は大切にしてきました。それがまさに全年齢層の教会学校であり、バプテスト教会の原動力といわれているところです。そのようにして、共に聖書の語り掛けを聴き合いながら、教会を建て上げてゆくのです。
〈参考〉
Ⅰ 聖書を重んじます。(聖書中心主義) 沖縄バプテスト連盟信徒手帳(2021年改訂版)P.13
イエス・キリストの救いの恵みの中で、活かされている私たちの信仰と生活との基準を、新・旧約聖書におきます。
旧約聖書はイエス・キリストが救い主としての預言の言葉が語られており、新約聖書はイエス・キリストの救いのみわざが成就したできごとが証言されています。それゆえ、私たちは新・旧約聖書を重んじます。
私たちは、教会の中で信仰を告白するために固定化した教理や信条などを持たず、また教派の秩序を維持し、縛るための統一した規律などはありません。ただ聖書に対する信仰と、聖霊の導きによる自由なみことばへの服従を重んじます。