先週は配餐を伴う主の晩餐式が、久しぶりに行われました。聖餐式と呼ぶ方もおられますが、バプテストは秘跡(サクラメント)である聖餐式(パンとぶどう汁にキリストの体が臨在すると考える)と区別するため主の晩餐式と呼び、パンとぶどう汁はキリストの十字架で裂かれた肉と流された血そのものではなく、象徴・記念する物と考えます。あくまでもパンとぶどう汁なので、たとえクリスチャンでない方が(間違って?)食べたとしても問題はありません。では何のために行うのか。それは、キリストの受難(十字架)を想起し、悔い改め、その恵みに感謝しつつ、いつか訪れる神の国の食卓の先取りとして、礼拝に招かれたお一人おひとりと共に、その神の国の祝宴に加わるのです。ですから、その意味がわかる人にとっては主の晩餐式は大事ですが、そうでない人には意味がないので、バプテスマを受けた方だけに配餐するという形を首里バプテスト教会は取っています。それは同時に、一人でも多くの方がこの主の晩餐式をご一緒に喜び、共に主の食卓に預かる日が来ることを祈り続けることでもあります。(参照:OBC『信徒手帳』41~42頁)(柴田かおり)2022年10月9日週報