先週、自分の不注意で怪我をして左手が思うように使えない生活を送っています。スマートフォンも重たく感じて、色々な場面で工夫が必要です。そんな折、病院チャプレン宮川裕美子さんの「自分の内に蓄える」(『世の光』7月号「いのちを見つめて」)という文章を読みました。入院中の患者さんの姿から、制限のある中でどう過ごすかは、自分の中に蓄えてあるもの次第で選択の幅が変わってくるというのです。

私もスマホに頼って電話番号や地図も覚えなくなり、まして聖書の言葉や賛美歌も覚えようとすらしていないことに気づきます。自分の中に何が蓄えられているのか、一度在庫確認をして、記憶することが難しくなっても慌てないように、せめて生きて働かれる神に思いをよせて対話すること、祈ることは自分の中から出てくるように生きていきたいと思います。(柴田かおり)