今日もたくさんの方が、それぞれの場所から、神様の招きに応えて来てくださいました。
昨日結婚されたお二人や、久しぶりに顔を見せてくださった方、仕事が一段落して来ることができた方、病との戦いの合間をおして。皆さん、いろいろな暮らしの事情~喜び、悲しみ、不安、疲れ~を抱えたままで主日礼拝に集まって、同じ御言葉を聞きます。
今日のメッセージでは、そういう私たち一人ひとりが、首里バプテスト教会なのだと教えられました。私は、大切な教会の一人として「宣教・教育・奉仕」という働きが委ねられているのだと。そして、私はその働きを、イエスさまが先立って働いておられる私の暮らしの場でするようにと、礼拝から派遣されるのだと。私が生活している暮らしの中には、私を必要としている方がいて、その方のところへ私は派遣される。その働きこそが、教会の働き、奉仕(ディアコニア、仕えること)であり、教育であり、宣教(伝道)なのです。そうやって、1週間を、一緒に働いてくださるイエスさまと共に過ごして、喜びがあり、悲しみがあり、疲れて、また主日礼拝へと招かれていくのです。だから、主日礼拝は色んなものを抱えたままで来ていいんです。