9月8日主の日。また主によって集められた姉妹兄弟と一緒に礼拝をしました。台風の名残の雨が、時折強く打ち付ける礼拝堂は、暖かく柔らかい空気に包まれていました。

ヨハネによる手紙Ⅰ4章7~11節から、ずばり「神は愛」という説教。幼稚園の子どもたちが、我先に「ねえねえ、夏休み○○したよ~」「わたしはね~」「ぼくは~」と話してくれるように、私たちも神さまに向かって日々の思い悩みもすべて打ち明けたらいい。神さまはもっと対話したいと願っておられるのだから、と。神さまの愛は、私たちの側がどうであるかにかかわらずに、無条件に与えられている。私たちはすでに愛されているものなのです。そしてそれは、一方的にこの地上に来てくださったイエスさまに示されている。神さまは、すでに愛され赦されていることを知らずに、勝手に罪にがんじがらめになっている人間を愛するがゆえに、イエスさまを私たちと同じ人間として地上に送ってくださった。神の子イエスさまは神の愛のかたちでもあります。

神さまの愛の本質は「恐れがない」こと。それはつまり、神は恐れる方ではなく交わりを持つ方だということ。恐れて近寄らないのではなく、遠慮せず飛び込んで甘えたらいいのです。イエスさまが「アバ」(とうちゃん)と親しみを込めて祈ったように。

「私は神の愛によって創られている、生かされている」私を作っているのは過去ではなく、日ごとに新たな神の愛が私を作り、生かしている。だから、愛し合う者へと向かうことができるのです。首里バプテスト教会も、愛し合うことへと向かって今週を生きてまいりましょう。