出エジプト13:17~22
2020年9月6日
緊急事態宣言が明けて、本来はみんなで集まって、主日礼拝をささげる予定でしたが、この台風です。みなさん、大丈夫ですか?くれぐれも、気を付けてください。と、同時に、このような状況の中でも、みなさんとご一緒に礼拝をささげられることをうれしく思います。
私たちはちゃんと歩んでいるのだろうか?という問い
それにしても、人は自分の思い通りになったらスッキリしますが、自分の思い通りにはならないものですね。
年明けには、予想だにしなかった、コロナ感染、しばらく会堂礼拝をお休みし、やっと再開できたのも束の間、また、緊急事態宣言が発令されて、会堂礼拝を休止してきました。やっと、直に会えると思ったけれども、台風です。来週からはぜひ、会堂でみなさんと集まって礼拝をささげたいと願っています。
けれども、またまたそのうちに、このコロナ感染状況ですから、また、会堂での礼拝休止ということも起こる可能性もあるでしょうね。 なにか、こういうことが度々重なってくると、フラストレーションがたまってくるものです。みなさんも、それぞれの生活のこと、忍耐を強いられていること、たくさんあります。自由に外に出られない、生活は、将来は、どうなるの。やはり、心のどこかで、こうやって歩んでいて、大丈夫だろうか。私たちは、ちゃんと歩んでいるのだろうか。そんな思いがふと脳裏をよぎることもあろうかと思います。
人の思いを超えた、神さまの恵みの道
イスラエルの民も、積年の思いがかなって、やっとエジプトから脱出することができました。一刻でも早く、私たちに与えられた約束の地へ向かおう、そんな思いで一杯だったでしょう。であれば、一番、有名で近い道、ペリシテ街道を通れば、10日くらいで到達する、ああ、あと10日で約束の地に入れることくらいは、イスラエルの民もわかっていたはずです。
けれども、神さまが、そうはされなかったのです。最も有名で近道のペリシテ街道だからこそ、この道にそってエジプトの要塞がたくさんあったのです。必然的に、最強のエジプト軍に出会い続けるわけですから、イスラエルの老若男女、多くの命が傷つけられ、奪われてしまいます。神様が、創造された命は極めて良かったですよね。とってもいい!のです。だから、人間の目には、ああこれが効率的な最短の道と考えても、人がいいと思った道へと神は導かれない。クリスマス、あの博士たちに、ヘロデのところへ帰るなと神さまが示されて、別の道を通って、博士たちが帰っていったことを思わされます。
このことによって、イスラエルの民、10日間ではなく、40年間という途方もない荒れ野の道という回り道をあたえられました。これは、人間の目からすれば、なんでこんな非効率な、ルートをって思ってしまいます。けれども、この道を通ることによって、神の恵みをこれでもかといただく体験をイスラエルの民は積んでいきます。人が思ってもいなかった恵みの道をちゃんと神が用意しておられるのです。この40年という旅の中で、イスラエルの民の主への信頼が育まれていったのですね。
首里教会にも主が最高の道を!
私たち首里バプテスト教会も、振り返ってみると、あの時こうしていればとか、この時ああしておけばとか、あったかもしれません。もっと、効率的な近道があったのではないかと、そして、特に今、会堂に集まることもできません。今年は、そんなに際立った活動もやっていない。どこかに、そういう気持ちがあると思います。大丈夫かなって。でもね、人間の思い描く道と、主が用意されている道は違うのです。
今、このコロナ禍の状況にあっても、意気消沈する必要はありません。主御自身が私たち首里バプテスト教会に最高の道を示しておられるし、現に今、その身を私たちは歩いているんです。
ヨセフと一緒に
しかも、モーセはあのヨセフの骨を携えて、イスラエルの民と一緒にその道を歩いているんです。ヨセフが亡くなる間際に「神は必ずあなたたちを省みられる。そのとき、わたしの骨をここから一緒に携えてのぼる」と、語ったことが、何世代もあとに、成就したのです。神様はちゃんと約束を果たす方なんですね。みんな嬉しかったでしょう。何世代も言い伝えられていたこと、本当にヨセフの骨と一緒に約束の地に向かえると。
イスラエルの民は、今を生きている人たちだけで、主が示された道をあるいているわけではないのです。ヨセフの骨を抱きかかえながら歩む民は、エジプトで先に召されていった先輩たちとも一緒に約束の地へと歩いているのですね。
太古の昔からインマヌエル!
私たち首里バプテスト教会も、主が道を用意してくださっています。今、なかなか、スムースにすすんでいないようにみえて、私たちは着実にその道を歩んでいるのです。それは、あのヘロデの権力に迎合する道でも、エジプトの軍隊と衝突して命を傷つけあう道でもありません。どんな時でも、主が先だってくださって、夜は火の柱、昼は雲の柱となって、どんな時でも一緒にいてくださる、これインマヌエルでしょう。そんな最高に幸せな道です。 インマヌエルは、イエス様からではなく、太古の昔からそうなんです。そんな希望に向かう道を、私たちは、先に召された首里バプテスト教会の先輩たちと一緒に歩いているのですよ。今を生きている、私たちだけじゃないのです。「わたしたちもおびただしい証人のむれに囲まれている」とヘブライ書にある通りです。
召された先輩方と共に歩もう!
私も、首里バプテスト教会に赴任して6年目です。この間、天に召された先輩方のことを想い起こしています。私たちだけでではないのです。世代を超えた、先輩方とともに、主が用意してくださっている、希望の道を共に歩めるのです。なんと幸せなんでしょうね。イスラエルの民も、ヨセフの遺骨を抱きしめながら、希望の道を歩んで行きました。私たちにも、主から希望の道を用意されていますし、もうすでに、先輩方と一緒にその道を歩んでいるのです。先輩方も、主にあって、私たちのことを励ましておられますよ。だから、主イエスを見つめつつ、共に。安心して歩んでゆきましょう。