聖書 ヨハネ21:12~17

コロナ禍の中での創立記念礼拝 今日は創立記念礼拝です。1956年から、神様がこの地に64年間教会を起こし続けてくださいました。教会がこのようにしてあるのは、当たり前のことではありません。一人ひとりに、信仰を与え続けてくださった。ゆえに、首里教会が一日、一日起こされ続けてきたのですね。主に感謝しましょう。
創立記念日は、首里教会の誕生日です。昨年は首里教会の誕生を祝う意味も込めながら、礼拝の中でケーキもささげられたり、あるいは、50歳以上のメンバーが、ここに立って賛美の奉仕をしてくださいました。なにか、今、思い返してもみんなでよくチャレンジしたなあって、ワクワクする思いがよみがえってきます。
今は実際に出会うことはかないませんが、それでも、こうやって首里教会を誕生させてくださり、教会を起こし続けてくださった主への感謝をご一緒にあらわせることを感謝しています。
また、この特別な礼拝に、M.H姉が司式の奉仕に、また、M.M姉が証の奉仕にチャレンジしてくださったことも感謝なことです。このために、H姉は練習を重ね、備えてくださいました。Mさんも、忙しい中にあっても、証の言葉を紡いでくれました。とても励まされます。

互いにねぎらいあい、祈りあいましょう 緊急事態宣言下の中、みなさん、普段とは違う対応を強いられていると思います。幼稚園も、行政から次から次にコロナへの対応要請が入ってきます。特に、M.K姉は保健所でもう最前線ですね。本当に今、尊いお働きを担い続けておられます。祈りましょう。そしてみなさんも、職場でも、学校でも、ご家庭でも、そうでしょう。それぞれにこの状況の中、踏ん張っておられますよ。
この間、みんなそれぞれに、普段とは違う緊張感に包まれながら、みなさん、頑張っておられます。でも、そういうことを自分でも忘れてしまいやすいのです。 だから改めて、こうやって、離れてはいますけれど、お互いをねぎらい合いたいのです。みなさん、よくやっていますね。よく、がんばっているねって。互いを祈りあいましょう。思いやりましょう。なによりも、イエス様がそうおっしゃっているのです。

居心地の良い場所とは? Mさんが、これからの首里教会のこと証してくれたことに感謝しています。「これからの首里教会が居心地の良い場所であったらいいなあ」と語ってくれました。 それを具体的に言うと、「また来たくなる」、「誰にとっても安心できる」、「自分らしくあれる」、「神様のことや信仰、いのりを共有したり話し合える」、「かみさま中心として集まる空間」とあらわしてくれました。 それが、「居心地の良い場所」と言ってくれて感謝しています。「また来たくなる」、「安心できる」、「自分らしくあれる」、大事なことだけど、それは神さまを中心として集められている空間、群れだからです。私たちには、いろんな空間、集団があるけれど、その中心に神様がいてくださる。これが教会です。神様が中心にいてくださる。首里教会が起こされてきて、いろんなことがあったでしょう。でも、ずっと主が真ん中にいてくださったんですね。

弟子たちの真ん中に 復活されたイエス様は、徹夜で漁をする弟子たちのことをずっと岸から見守っておられました。全然取れない弟子たちの苦労や焦り、疲労困憊をも全部受け止めながら。そして、網を下ろしてみなさい。と語られ、たくさんの魚をあたえてくださった。弟子たちが、一晩中の漁でくたくたになって戻ってきたときに、炭火がおこしたあり、すでに朝ご飯の用意をされていたんですね。そして、空腹のでしたちに食事をあたえ、心もおなかも満たしておられます。
そう、イエス様は弟子たちの真ん中におられるのです。そして、その時、その時、何が弟子たちに必要かをすべてわかっておられるのです。 そうやって、復活の主が何度も何度も出会ってくださるから、もう弟子たちは「あなたはどなたですか」と聞く必要はなかったのです。
私たちも、いろんな事柄に、また普段と違う緊張感に包まれていると、そのことで一杯になって、主に気づかないで「あなたはどなたですか」って言ってしまっているのかもしれません。けれども、何度も主があなたに出会ってくださる。首里教会の真ん中にこれまでも、今も、そして、これからもい続けてくださって、その時、必要なものを備えてくださるのです。
弟子たちもうれしかったでしょう。イエス様がいるから、「自分らしくあれる」「安心できる」「また、イエス様のところに集まりたくなる」そういう思いで一杯だったのではないでしょうか。

つまずいたあなただからこそ そんな心もおなかもみたされているところに、主イエスは、ペトロに大事なことを伝えました。ペトロ、私を愛しているか、と問われて、はい、愛していますと、それで、問いかけは、終わらない、二回目も、同じ質問、なんで、同じ質問するのかなって、よぎったかもしれませんが、同じように愛しているということを返します。3回質問しますね。その時、ペトロは自分が三度主を裏切ったこと、に気づかされます。
その3度の問いかけは、ペトロにとって本当に大事なものでした。私たちは、すぐにかっこつけようとするし、自分の力で頑張ろうとします。自分の弱さも隠そうとします。でも、ペトロにとって、その隠していたところは、開かれないといけなかった、それがさばきです。さばきは、こわいものではなくって、本当にその人が救いへとむかうための大事なことなのです。ペトロは悲しくなって、「主よあなたは何もかもご存じです」と答えました。そのペトロに、「わたしの羊を飼いなさい」と主はおっしゃったのです。 「失敗したこと、つまずいたこと、隠さなくてもいいよ、そう、失敗し、つまずいた、その経験があるからこそ、ペトロ、あなたを用いるんだよ。」そうやって主の御用のために遣わされているんです、ペトロは。

首里教会のみなさん、お一人お一人、そういう経験があろうかと思います。誰も聖人君子にはなれません。だれもが、失敗し、傷つき、落ち込む、そういう経験を繰り返すのでしょう。そういうあなたと一緒にいてくださって、その都度、心を癒し、おなかもみたしてくださって、「そういうあなただから遣わすんだよ」って、私たちは何度も主から語っていただきました。そうやって、首里教会が起こされ続けてきたのです。

喜びの叫びを 感謝なことだらけです。イエス様があなたに、わたしたちにしてくださったことは。 私たちは、つい足りないことや、自分の願い通りにいかないことで心がいっぱいになってしまうことが多々あるのではないでしょうか。特にこのコロナ禍の中で、あれもできない、これもできない、少しずつ積み重なってきているものがあると思います。
今日の招きの言葉にあるように、神さまは求めておられるのです。「全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ!」主が真ん中におられるんですよ。
今日は、首里教会の誕生日、喜びの叫びをあげましょう。「喜びの叫び」ですよ。「感謝します」くらいなら、あるでしょう。でも求めておられるのは、叫びなんです。「神さま、ありがとうございます!なんて、うれしいことか!感謝!」それくらいのことでしょう。これを求めておられるんです。

 感謝の歌を、賛美の歌を 4節に「感謝の歌をうたって主の門に進み、賛美の歌をうたって主の庭に入れ」これを求めているのです。朝ご飯を用意し、ペトロを心底解放する言葉を語ってくださったイエス様を思い出してください。恵みだらけでしょう。主のしてくださったことを何一つ忘れるなとあります。でも、忘れるんですよね。だったら、また数えたらいい、とんでもない恵みに包まれます。
この状況下にあっても、私たちは、感謝の歌を、賛美の歌を、歌えるのです。喜びのつぶやきではなく、叫びをあげられるのです。この64年間、いろいろあったけれど、主がなしてくださったことは恵みだらけです。そして、今も、これからもです。主が真ん中におられます。
だから、私たちとことん、感謝の歌を、賛美の歌を歌い続けましょう。そして、叫びましょう、つぶやきじゃないですよ。主にむかって、叫ぶんです。喜びを。そうです、主からいただいた恵みゆえに、私たちは喜びを爆発させながら、これからも一緒に歩んでゆくのです。