2020年5月24日 首里バプテスト教会主日礼拝
説教「あなたも、わたしも大丈夫!」   聖書 使徒8章1後半~8節

迫害によって
今日の箇所は、世界宣教がスタートしたところです。「世界宣教の第一歩が踏み出された!」と言うと、聞こえはいいのですが、実際のところは洗練されたものとは程遠いものでした。
当時の初代教会には、ヘブライ語を話すユダヤ人(ヘブライスト)と、ギリシャ語を話すユダヤ人(ヘレニスト)が一緒にいました。この二つのグループが対立している状況がすでに6章には描かれています。
ヘレニストのリーダー格であるステファノは、主イエスと同じようにストレートに「神殿体制のあり方はおかしい!」と指摘しました。この指摘は他のユダヤ教徒たちを憤慨させます。ユダヤ人の命が批判されたようなものですから。当然、エルサレム教会(イエスを主と信じる群れ)への迫害が起こります。ただ、使徒をはじめ、ヘブライストの人々は、迫害されずにエルサレムにとどまることができたのです。神殿体制への批判ではなく、むしろ従来のユダヤ教の枠内で信仰を保持していたからです。
あのサウロのような教会を迫害するユダヤ教徒たちが、恐ろしい形相で追いかけてきて、仲間が次々と捕えられ牢に投げ入れられる。殺されてゆく、恐ろしい光景です。
フィリポたちは、本当は、このエルサレムの教会に留まりたいと思っていたことでしょう。まさか、こんな迫害が自分たちに襲ってくるとは…。もう、命からがら逃げだすしかなかったのです。そして、同じイエスを主と信じる仲間なのに、使徒をはじめとするヘブライストたちは、迫害されずに、自分たちだけが、こうやって追われている!なんだ、この理不尽さは!

えっ!サマリア?
そんなやり場のない気持ちを抱えつつ、無我夢中でそれぞれ逃げた先の一つが、ユダヤ人が嫌悪し、見下していたサマリアでした。フィリポもまた、サマリアに対して同様の感情を持っていたはずです。けれども、なんと、サマリアの人たちが、「十字架と復活のイエス様こそが救い主である」という福音を、フィリポを通して受け入れてゆくのです。本当に不思議!

マイナスにしか見えない状況の中で
フィリポ自身も、サマリアの人たちとの出会いによって変えられていったでしょう。自らの壁を崩され、低くされて、サマリアの人たちのやさしさにも触れてゆく。確かに、この出会いを通してフィリポに新たな世界が広がったのです。
「ああ、風だ、神さまの風なんだ!」フィリポは不思議な風を思いっきり体感したでしょう。出会いが起こされ、壁が崩され、互いに笑いあってるじゃないか!「理不尽なことばかりで、翻弄されてきたけれど、こんな新しい世界が起こされるなんて!」
フィリポにはマイナスにしか見えなかったそんな状況の中にも、神さまの風は吹き続けていて、思ってもみなかった嬉しい世界を与えられてゆくのです。
「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また地の果てに至るまで、わたしの証人となる」とイエス様がおっしゃった通りです。

あなたも、わたしも大丈夫!
フィリポ同様、私たちも、一瞬一瞬、私を新しくし続けている風を受けているのです。
2020年が明けるとき、今のような状況になっているなんて、誰も予想もしていませんでした。多くの痛手を受け、生活は激変しました。多少回復の兆しはあるとはいえ、気を緩めることはできません。
けれども、あのフィリポにサマリアの人々との新しい世界をみせてくれた、あの聖霊の風は、私たちにも、今、吹き続けているのです。
私は、この状況下であらためて、教会は首里教会は、この建物ではなくて、みなさん一人ひとりなんだということを実感させられました。共に礼拝することの大事さも。離れていても、なんとか「共に」がおこされ、得たものもたくさんあります。

今もなお、心重たくなるニュースが続き、不安が私たちにのしかかってきます。「ああ、もうどうにもならない」とうずくまる様な時もあるでしょう。その時は、思い起こしてください、そして、自分に語りかけてください。
「フィリポに吹いたあの風が、今、私にも吹いている」って。

だから、わたしたちはうつむく必要はないのです。

だから、あなたも、わたしも大丈夫! 神の息吹があなたにもわたしにも、今、吹いているからです。

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