聖書 使徒言行録1章3~11節
キリストの「復活」と「昇天」
この5月は使徒言行録に聴いてゆきます。使徒言行録は「キリスト」について2点述べています。一つは死に打ち勝つ「復活」、もう一つは、神の右に座り、力を与えられた「昇天」です。今日の箇所には、この2つが一緒に語られています。このキリストの「復活」と「昇天」を改めて心に刻みたい。なぜなら、物事がうまくいかない時、この世界が分裂しばらばらに見える時、混沌が世界を覆っている時も、誰がこの世界を治めているかに目を向けることで、希望をもって歩めるからです。
「復活」=新しい世界!
使徒言行録の冒頭から、復活のイエス様が登場しています。どうしてもキリストの復活を伝えたいからです。イエス様の身体がよみがえった「復活」は、あまりにもスゴイことで、私たちの頭では理解できないほどです。だから、私たちは復活のイエス様は「私の心の中に生きている」とか「身体をもたない神々しい霊のようなもの」と考えてしまいやすいのです。
けれども、聖書は「身体のよみがえり」を伝えます。復活のイエス様は弟子たちと共に食事し、十字架の傷跡を見せます。復活とは、私たちの常識の延長線上にはない、神様のとてつもない救いがここに起こったのです。
キリストの復活以前は、死がすべての終わりでした。死んだらもうどうしようもない。結局は死がすべてを飲み込み、縛っている。これが私たちの世界、この世の価値観でした。
しかし、キリストの復活において、新しい世界が始まった!のです。死の不安と恐れに飲み込まれている世界でしかない、そういう世界が終わりを迎え、新しい世界が始まったのです。
だから、キリストを見つめなさい!
今、この世界はパンデミック一色です。みなさんの生活もストレスが多いことでしょう。外に出られないし、コロナのニュースばかりでは気がめいります。そのうえ、生活は激変しています。テレワーク、ウエブ会議、判子の廃止、9月入学制など、次から次にです。そして今、言われているのは、この世界は、コロナの後どんな世界になるんだろう。そんな不安をあおるような話でもちきりです。そして私たちも、不安の中に巻きこまれてしまっています。
私が、神学生の時、何度も教えられたことは「キリストのみを見つめなさい」ということでした。キリストというただ一点に集中する時に、キリストを通して、神さまが起こされた新しい世界が見えてくる、ということです。
端的に言うと、「キリストを通して世界をみる」ということです。今、悪魔がほくそ笑んでいるとするなら、それは、私たちがキリスト抜きで世界を見ているときです。
「だから、あなたは復活のキリストを見つめなさい」。神はあなたに語りかけています。「キリスト抜きで世界を見るのを止めなさい。コロナが、この世の権力者が世界を造り、支配するのではない。すでに、神が、新しい世界を起こしておられるんだ。その新しい世界とは、何よりも、復活のキリストを見つめることなんだよ。復活のキリストのみを」。神はあなたに語られています。
希望によって待つ!
そして、あなたがたは「聖霊」を待ちなさいと語られています。
私の愛犬「まめ」は、私よりも早く目を覚まして、私が起きるのをずっとひたすら待っています。毎朝です。私が目覚めると、くるくる回りながら喜びのダンスを始めます。もうどうにも止まりません。今まで、待ち続けた思いを毎朝爆発させています。朝毎に喜びのダンスを爆発させているのです。
この「まめ」から、いつも教えられるのです。私たちクリスチャンが「待つ」ということは、希望の中でワクワクしながら「待つ」ということなのです。私たちに神様の愛の思いを知らせてくれる「聖霊」を待つ。そして、天に昇られたイエス様が再び来られ、神さまが始められた新しい世界が完成する時を、希望をもって待ちつつ、私たちは歩むのです。
耐え忍んで待つのではありません。イエスは「昇天」し、神の右の座についておられるからです。そう、すでに世界をキリストが愛によって治めておられるからです。だから、積極的に待つのです。
主イエスを見つめつつ、共に
「なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天にあげられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」これは、今の状況の中でため息をつかざるをえない私たちへの希望の呼びかけです。
私たちは、主題「主イエスを見つめつつ、共に」を今年度も掲げています。これは、「キリストを見つめつつ、共に」とも言えます。首里教会の皆で、ただキリストのみを見つめる、その時はじめて、神が起こしてくださった新しい世界が見えてくるのです。キリストのみを見つめましょう、共に!この方によって、新しい世界は始まっていますし、この方こそが、今、すでに、世界を治めておられる主なのです。
治めていたまう方を!
最後に、ナチスに抵抗し続けた神学者カール・バルトの生涯最後の言葉を紹介して終わります。
1968年亡くなる前夜に、友人と世界情勢について、心を暗くするその危険や困難について話し合ったのち、バルトはこう語りました。
「うん、世界は暗いね、しかし、意気消沈だけはしないでおこうよ! けっして! なぜなら、治めていたまう方がおられるのだから。モスクワやワシントンや北京だけではない。全世界を、まったく上から! 天から、治めていたまう方がおられる。神が統治しておられるのだよ。だから、僕は恐れない。どんな暗い時にも、にもかかわらず僕たちは確信しつづけようではないか! 希望を失くさないようにしようよ。すべての人に対する、全世界に対する希望を!神は私たちを見捨てたまいはしない。私たちのうちのただの一人も、私たちお互い皆を見捨てたまいはしない。治めていたまう方がおられるのだから。」(宮田光雄『カール・バルト 神の愉快なバルチザン』p243、岩波現代全書、2015より)
治めていたまう方、復活の主、キリストを見つめましょう。新しい世界はすでに始まっているのです。