11月最初の礼拝は、思いのほか暑い日となりました。

礼拝説教は、申命記7章から、神さまは私たちがどうあれ、私たちを「宝の民」として約束を守り愛してくださるというお話でした。講壇花
神さまは、イスラエルを「どの民よりも貧弱だったから」選ばれたのです。貧弱だからこそ、私たちは手をつないで、「宝の民」として生きていく。そういう生き方があるのです。

大人になると、なかなか自分を「宝」だと理解することが少なくなりますね。なんだか気恥ずかしくて、大切な人であっても「宝物」だなんて言えなくて。だから、毎週日曜日に教会で、あなたは大切な人、神さまの宝物、と言ってもらえることは、とっても嬉しいです。そして、神さまはその愛を遠慮せずに受取りなさいとも言っておられます。だから、恥ずかしくても感謝して受取りたいと思います。ありがとう、神さま。