詩編133篇1~3節
詩編133篇は、都に上る歌と書いてありますが、イスラエルの人々が長いバビロン捕囚(捕虜としてバビロニアに移住させられていた)から、イスラエルの国へ帰還する際の歌といわれています。ですから、やっとエルサレム~神殿は滅ぼされていたものの~で礼拝できる喜びがあふれています。むしろ、神殿がないことで、兄弟が共に座している、その場所そのものが礼拝であり、その喜びであったでしょう。
戦後間もない沖縄の収容所で、戦火を逃れたクリスチャンたちが牧師がいない中で礼拝をはじめ、そして収容所から解放されたときに、ある所では焼け野原となった教会のあった場所で、ある所ではそこにすらいけず基地の外で、兄弟と再会し礼拝をされた、その姿とも重なってきます。
「何という恵み、何という喜び」2・3節では、この恵みと喜びを具体的な表現であらわしています。最高の香油、ヘルモンのつゆが、おしげもなくあふれるほどに、あなたに注がれているのだと。神は、最高のものをあますことなく豊かに与えてくださり、与え続けてくださっているのだと。
そしてさらに神は、祝福ととこしえのいのちを布告されたのです。それは、神の約束であり、100%実現されるという宣言です。
M.L.キング牧師の「わたしには夢がある」という説教を思い出します。あの有名な説教は、この聖書の箇所を背景にイメージしてされたといわれています。かつて奴隷であった子孫とかつて奴隷主であった子孫が、喜びをもって共に食卓につくはっきりとした幻を、彼は見ていたのでしょう。
そうです。この詩編の賛美は、詩編だけにとどまらず主イエス・キリストによって歴史を超えて広げられ続けているのです。私たち、首里バプテスト教会もまた、この神の歴史の中で神の幻に参与するように招かれています。