青少年礼拝として、司式、証し、奏楽、献金当番、特別賛美を、小学生~青年たちが担ってくれました。週日に練習していた司式のMさんは、とっても緊張していたけれどしっかりはっきり司式をしました。

証しのMさんも、今の思いをしっかりと伝えてくれました。

特別賛美は「詩編100篇」からの賛美でした。手をつないで歌う姿に、見ている大人たちが感激しました。

柴田牧師の説教は、モーセが正義感あふれる若者の時に、勢い余ってユダヤ人同胞を助けるためとはいえ人殺しをしてしまった挫折から、人生を放棄し逃れ隠れるように生きているところに、神様が、再びエジプトへ行き、ユダヤ人をエジプトから救い出すリーダーとなるように、呼び出される聖書の箇所からでした。(出エジプト記4章10~17節)

モーセは、ひっそり生きていたいので、神様の招きを何度も何度も、色々と言い訳して断ろうとします。そして、神様がしるしを見せてもなお、私はふさわしくないと口答えします。すると、神様は「いったいおまえは何者なのか。私があなたに口を与えたのではないか」と。そして、アロンという助け手を与え、モーセの代わりに語るものとされます。そして、アロンはモーセに会うと「心から喜ぶ」とまで励まし、モーセの背中を押してくださいました。

神様からの招きは、時に、モーセでなくとも怖気づき、躊躇し、他にだれかふさわしい人がいないかと考えてしまいます。けれども、神様は「あなたが」必要だとおっしゃるのです。ふさわしいかどうかは、私が決めることではなくて神さまが決めること。私を創り、育て、賜物をくださるのが神様ならば、ふさわしいのかどうかご存じなのは神様の方なのに、私たちは、「私はこうだから」と決めつけて、神様よりも自分の方が自分のことを分かっているかのように考えてしまうのですね。

神様からのチャレンジに、「はい」と答えて一歩踏み出した青少年たち。言い間違えなかったかとか、上手だったかとか、そういう見方で神さまは見ておられない。きっと、神様はチャレンジしてくれた彼らの気持ちを一緒に心から喜んでくださっている。だから、私たちもその喜びを一緒に喜び、心から喜べる首里バプテスト教会の礼拝でありたいと思います。