ルカ6章12~16節 柴田良行牧師による説教でした。
聖書は、イエスさまが12人の使徒を祈って選出し派遣する箇所です。
12節、イエスさまは神様に祈って夜を明かします。イエスさまの祈りは、すべてを神さまの前に明らかにして、み心を求める祈りでした。私たちが祈るとき、あらかじめ自分に都合の良い選択肢を用意して「神様、このどちらでしょうか?」と祈っていないだろうかと問われます。自分に都合の悪い、選びたくない道を意識的・無意識的に排除して、祈ることすらしないことが、弱い私たちにはあるかもしれません。でも、イエスさまの祈りは、自分の思いを超えた神さまの思い、選びを受け入れようとする祈りでした。
そうやって祈ったイエスさまに示された使徒の12人は、思いもかけない人たちでした。漁師であり、熱心党つまり国粋主義者、それに対抗する徴税人、イエスを引き渡すことになるユダ…。もしも少しでも理性的に「使途にふさわしい能力、人となり」の人を選ぼうとしたなら、こんな12人にはならなかったでしょう。イエス様ご自身も、きっと驚かれたかもしれません。「神様、この12人なのですか?」と。
しかしだからこそ、イエスさまは祈ったに違いないのです。神様の選びは、能力や経歴や家柄や将来性などなど、そういうものではないようです。私たちも、この神様の選びによって今日ここに招かれ、来ています。だとすれば、イエスさまは使徒たちのために夜通し祈られたのと同じように、私のためにも祈っていてくださいます。
イエスさまは、シモン・ペトロにいわれました。
「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」ルカ22:31~32
イエスさまは、私たちのために祈り続けておられます。そして、「さあ、行っておいで」と派遣するのではなく、「一緒に行こう」と先に立って招いてくださっています。だから、私たちは自分の想定外の道に歩みを踏み出すことができるのです。