2月でも穏やかな暖かさ。桜も咲く中での、主日礼拝を感謝いたします。
メッセージでは、コロサイの信徒への手紙から、キリストと共に死に、キリストと共に復活させられたクリスチャンは、新しい命を生きるものとされた。そして、その命とは、自分のことばかりではなく他者に向かって関心を向け、他者を(たとえどんな人であっても)受け入れ、同じく神さまから愛されている人として向き合い、他者の重荷を一緒に担うための命なのだということでした。また、キリストと共に死んで、キリストと共に生きるとは、キリストにあって神以外の何物からも自由にされているということであり、その自由によって他者と共に生きることを選ぶということだとも。
世の中では、自由と共に自己責任が問われ、自分の自由のためには他者を犠牲にしてもかまわないといった風潮や、家族をどうしようが家族の責任だと言って、結局強いものが自由を行使し弱いものが犠牲になる事件が絶えません。本当の自由・キリストにある自由は、他者のために自分の自由を使うこと、だれよりもイエス・キリストが示された自由な生き方なのです。

講壇花講壇花