イザヤ書1章10~20節より「論じ合おう」という説教でした。
聖書個所では、少し厳しい言い方で「お前たちの熱心さは偽りでしかない」との神さまのことば。教会に通い、礼拝を守っているだけで満足しているが、あなた方は孤児や寡婦を置き去りにしている、つまり、神を愛していると言いながら隣人を愛することが無ければそれは偽りの愛であるということなのです。そういわれてしまうと、うなだれるしかありませんが、そういう私たちを見捨てないのがまた神さまです。「論じ合おう」とは、そんなダメダメな私たちに対して対話することをあきらめない神さまの言葉。「あなたがダメなのはわかっているよ。大丈夫、わかっているから、かっこつけずに言い訳していいよ。話してごらん。」
教会は敷居が高いとよく言われます。それは、教会ではついついかっこつけてしまうクリスチャンがいるからです。本当はそんなことないのに、ちょっとだけ早く教会に来て、イエスさまを知っただけなのに、自分はなにがしかの人であるかのように振舞ったり、時には自分にまで嘘をついて頑張ってみたり、クリスチャンってそんななんです。むしろ、そんなだからこそ神さまが教会に招いてくださったのだと思います。
今週も、主に伴っていただきながら、どうにか一週間を過ごしていきましょう。

講壇花 講壇花