『茶色の朝』というお話(絵本)を取り上げて、何もかも一色に染めようとするのは「主の望み」ではないことを話されました。
今日の聖書個所「コリントの信徒への手紙Ⅰ 12章12~27節」には、「1つの霊を受けて1つの体となった」と教会を表していますが、それは皆が同じ色になったということではなくて、「それぞれは体の肢体なのです」というのです。肢体というのは聞きなれない言葉ですが、つまりある人は耳、ある人は足といった具合。それぞれ違った特色があり役割があるのです。
しかも神さまは、「他より見劣りのする部分を一層引き立たせて体を組み立てられた」というのです。神さまが中心に置かれるのは、強さではなく弱さなのです。
弱さとは、教会が自分たちだけでは生きられないことを忘れないために与えられている、弱さこそ「共に生きる」ことを引き起こす、だからこそ、パウロは「弱さを誇ろう」と言うのです。
多分それは、私達一人ひとりにも当てはまることですね。自分の見劣りするところ、弱さは、誰かと一緒に生きるために与えられた大切なギフトとして、受け入れることができたらと思います。そして、「この人さえいなければ」と思ってしまう人も、同じように大切にすることができたら、その人のために祈ることができたら、とも思います。