たくさんの雨と雷をいただいて、6月最初の主の日がはじまりました。

説教は、「神の国は近づいた」マルコによる福音書2章18~22節からです。

まず、3章13節を引用されて、イエスさまが私たちを礼拝へと呼び寄せるのは、まずは自分のそばに置くためなのだと言われました。ふさわしくない者も呼び寄せそばにおいてくださる主イエスさまがいらっしゃるから、私たちは、ここから、宣教といやし(奉仕)の働きへと派遣されていくことが出来るのです。感謝します。

私たちは、この世の価値観や基準に適応して生きています。イエスさまは、そういう世から離れて生きることを望んでおられません。どんなに世の中が目を覆うような過酷な状況であっても、そのただ中へと派遣され、世の価値観ではなく神さまの価値観で生きるようにと招いておられます。

では、神さまの価値観ってなんでしょうか?イエスさまは、律法を守り断食をすることではなくお腹がすいたら安息日でも麦の穂を摘んで食べる方です。神さまの価値観は、「模範的な宗教家」の在り方とは違っているようです。一説ではイエスさまは「大酒のみで大食漢」とうわさされるほど、貧しくて食べることのままならない人たちと一緒に食事することを喜んだ方でした。それはまるで、世の価値観に染まっているようだと「模範的な宗教家」には思えたのでした。しかし、イエスさまが見ておられたのは「神の国の食卓」。この世に花婿として遣わされたイエスさまは、世(わたしたち)と神さまとの和解の祝宴をともに喜んでほしいと願っておられるのです。

私たちはみな、クリスチャンもそうでない人も、この神さまの祝宴に招かれています。この招きをぜひ受けてほしいと、そして一緒に喜んでほしいと願っておられるのです。

 

第一主日には主の晩餐があります。イエスさまの十字架を思い、パンとブドウ汁をいただきます。