戻り梅雨といったお天気が続き、雷の音を遠くに聞きながらの礼拝となりました。去った週に出張があった柴田牧師は、大雨で着陸できず上空を旋回する飛行機の中で「無事に着陸できるように」と祈ったそうです。すると、不思議なことに示されたのは「神さまはこの飛行機に乗っているすべての人を愛している」ということだったとか。とても平安で、着陸後も先を急ぐ周りの乗客に優しく接することが出来たそうです。祈りは思いがけない神さまとの出会いでもあるのですね。

さて、ルカによる福音書18章9~14節には、二人の人が登場します。ファリサイ派の男性は、律法を忠実に守り善行を行い人々から尊敬される人でした。方や徴税人は人々から嫌われながらも仕事に忠実に仕えていました。神さまの前に礼拝し献金する二人の心の中を見抜かれるイエスさまは、人々から日々賞賛されることの危険・誘惑を示されます。知らず知らずのうちに、人々からどう思われるかを基準に生きてしまう私たちが、本当は弱く、失敗と不安と恐れだらけであることを神さまはご存じなのです。知っておられてなお、そんな私たちを愛し、いつくしんでいてくださる。

大事なことは、自分の罪の深さをごまかさず、隠さずに認めること。「主を、罪びとの私を憐れんでください」から始めたらいい。目を上げられずにいる私たちの、その足元にこそ、主イエス・キリストは、飼い葉おけに生まれ十字架に死んでくださったイエス・キリストはおられるのですから。