光の子幼稚園では、今年は宿泊を伴うキャンプが中止となりましたが、子ども達に少しでも思い出を作ってあげたいという先生方の願いで、夏季保育として各学年一日のプログラムが行われたそうです。月組(年長)さんたちは、泊まれないけれど今帰仁村にある北山荘へ行ってきました。しかし、当日はあいにくの大雨警報!……ところが、北山荘に到着したころにはお日様が出て、海岸でスイカ割も出来たとのこと。教会の皆さんのお祈りと子どもたちが「イエスさまがいるから大丈夫」と信じる祈りに励まされた経験だったそうです。

教会学校のカリキュラムにあわせて、テサロニケの信徒への手紙を学んで来ています。いよいよ、テサロニケの信徒への手紙Ⅱの2章。説教は「吐く息一つで」。柴田牧師は、海岸ではしゃぐ子どもたちの後ろ姿と美しい自然を見た時に、まるで「神の国」だと感じたそうです。イエスさまの宣教に始まった「神の国は近づいた」という神の国が、イエスさまの再臨で完成するその日までの間の「途上」にいる私たち教会は、そうやって「すでに始まり、いまだ完成していない神の国」を時に垣間見ることが出来るのです。絶望的に思えるこの世界の中に、きらきらと輝く神の国を捜して生きる教会でありたいと思います。

テサロニケの教会もまた、そうやって迫害の中を生きる人々でした。私たち首里教会と同じように、主の晩餐(礼拝)で神の国の祝宴を先取りする礼拝共同体です。2章8節には、主イエスの吐く息が出てきますが、この息とはギリシャ語ではプネウマ、聖霊の事です。聖霊は、命を与え人を生かすとともに、悪しきものを明らかにし滅ぼすものでもあります。つまり、私たちは聖霊によって悪しきものを滅ぼされるからこそ、永遠の新しい命に生きる者とつくりかえていただくことが出来るのです。

注意しなくてはならないのは、滅ぼされるのは悪しきものであって「悪い人々」(信じない人とかクリスチャンではない人)ではないということです。イエスさまの息=聖霊によって、神が創造したすべての者たちは新しい命を得るからです。

だからこそテサロニケの信徒への手紙Ⅱ2章16節からがあります。
「私たちの主イエス・キリストご自身、ならびに、わたしたちを愛して、永遠の慰めと確かな希望とを恵みによって与えてくださる、わたしたちの父である神が、どうか、あなたがたの心を励まし、また強め、いつも善い働きをし、善い言葉を語る者としてくださるように。」