先週の創立記念礼拝を振り返り、一つ一つのうれしい出来事を話された柴田良行牧師。その後体調を崩し、病の中から捕囚の民の気持ちに思いをはせたと始められました。
今朝の箇所は、イザヤ書の中でも第2イザヤと呼ばれる捕囚中のイスラエルの民に語られた希望の預言です。絶望感漂う民に対して神さまの希望を語り続けるイザヤ。神殿崩壊に自分たちの神は死に礼拝することもできないと嘆く民に対して、神は生きておられ礼拝はどこでもできると語ります。
神さまの思いは人の思いを高く超えている。神の恵みは、雨や雪が一方的に大地に降り注ぎ、芽を出させ、茂らせ、種を与え、糧とするように、私たちに降り注ぎ必ず使命を果たすと宣言しています。
その神さまの思いであることば(ダッバール)は、単なる「ことば」なのではなく出来事なのだと柴田牧師は語ります。神のことばは出来事となり出来事を起こすと。そしてそのしるしがイエス・キリストです。「ことばは肉となって私たちの間に宿られた」のです。そして救いの出来事を起こしてくださったのです。
すでに解放の道は開かれた。平和(シャーローム)がある。過去が私を決めるのではない。神が用意してくださる未来の希望が、将来が私たちを招きます。さあ、目を上げて主を見あげ今週を歩みだしましょう。