クリスマス礼拝が終わっても、教会は降誕節を過ごしています。クリスマスの降誕劇では、羊飼いの後にすぐ東の国の学者たちが、赤ちゃんイエス様を礼拝しに来るのですが、教会の暦では1月に入ってから来ることになっています。また、新しい年とはクリスマス(アドベント)から始まるとされています。それでも、年の区切りは気持ちも新たになるものです。2019年最後の主の日を礼拝し、新たな年2020年もまた礼拝で始めたいと思います。

柴田良行牧師の説教題は、「おめでとう」。何がおめでとうかといえば、新年ではなくて、天使がマリアに伝えたおめでとうです。この「おめでとう」から新しい年が始まったともいえるのです。教会歴によれば、この天使のおめでとうこそが「明けましておめでとう」ですね。

でも、マリアはこの天使の「おめでとう」にすぐに「ありがとう」とは言えなかった。私たちにも告げられている天使の「おめでとう、恵まれた人。主があなたと共におられます」を、私たちは気安く受けられるでしょうか。いったいどういうことかと、マリアのように戸惑い、悩み、受け止めたときに、初めて私たちは「ありがとう」と受けられるし、他の人にも「おめでとう、一緒に喜んでください」と言えるのです。

マリアの人生は、決しておめでたいものではなかったはずです。しかし、神様によって特別な道へと押し出されていった人生でした。今年、中村哲医師が亡くなられました。彼もマリアと同じように「おめでとう」と天使から告げられて、アフガニスタンへ向かった人でしょう。医者として現地へ行き、病気を治す前に水が必要と感じ井戸を掘り、用水路建設から灌漑開墾し、村の建設まで、まさに新しい道へと押し出されて行かれました。彼は、西南学院でキリスト教と出会い、バプテストのクリスチャンになりました。内村鑑三との出会いから、自分の人生を主にささげて生きる決意をされていきます。彼の著書に「天共に在」がありますが、この言葉はまさにインマヌエル「神ともにいます」という聖書の神髄であると言っています。

「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」この言葉を聞いた人は、新しい道へと歩みだします。主は、あなたにも、日々、この言葉を語っておられます。