2025年度の宣教主題を話し合う部会でのことです。「キリストの愛を生きる」はわかりずらいから「キリストの愛を知る」が良いのではという提案がありました。確かに愛を生きるとは抽象的です。でも、私たちは生きている日々の中でしかキリストの愛を知ることは出来ないのです。キリストの愛を生きるとは、知っているキリストの愛を完璧に生きようとすることではなく、キリストの愛とは何かを知るために生きること、なのかもしれないと、話し合いを通して思いました。
キリストの愛は深くて広い、私たちはそれをその時々の精一杯の言葉で表現するけれど、どんなに言葉を尽くしても語りつくせません。だから少しでもそれに近づくために生きている、ということができるでしょう。
振り返って2024年度キリストの愛を生きようと努力はしたけれど、私はキリストの愛を生きました!とは言えないし、キリストの愛とは何かむしろ謎が深まったとも思えるほどです。でも、宣教主題は到達目標ではありません。神さまからのビジョン、「さあ一緒にキリストの愛を生きよう」という招きなのだと思うのです。顔を高く上げて、新しい年も主と共に歩み出してまいりましょう。(柴田かおり)2025年1月19日週報