人口減少、少子高齢化、人手不足が叫ばれ、世間では、人々を積極的に労働力として動員し、生産性を高め、富をいかに分配し、幸せな生活を実感してもらおうかと躍起になっています。教会もそのあおりを受け、担い手不足に負担感や危機感を感じてしまうことがあります。
先日「もともと人間は捧げようとしてやまないものです。そのため、本当に自分を捧げることができるものを見つけることができれば、人間は不幸になろうとしても幸福にならざるを得ない」というマザーテレサの言葉を読みました。
働きが重荷に感じるとき、それは誰のために自分を捧げているのかを見失っているからかもしれません。
「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」マタイによる福音書25章40節
どんなに小さなことでも、神さまは私たちの小さな働きを喜んでくださる。このイエスさまの言葉を心に留めて歩みたいと思わされています。(M.Y)2024年7月7日週報