私の部屋の入口に日めくりカレンダーがあり、そこに以下のような文面が示されている。
「花には人間のようなかけひきがないからいい。ただ咲いてただ散ってゆくからいい。ただになれない人間のわたし」みつお
そう、あの曹洞宗の在家の禅僧で書家の相田みつおさんの句です。仏教徒の相田さんですが、聖書にもちょっと似たような句があります。ルカによる福音書12章22~29節のみ言葉です。
「それから、イエスは弟子たちにいわれた。『だから、言っておく。命のことで何を食べようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だ。烏(からす)のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりもどれほど価値があることか。あなたがたのうちのだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ、ほかの事まで思い悩むのか。野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことである。信仰の薄い者たちよ。あなたがたも、何を食べようか、何を飲もうかと考えてはならない。また、思い悩むな。」
若い頃は、心のゆとりのなさゆえ、いつも何かに追いかけられている生活をしていたゆえ、聖書の句も心に止める事なく過ごしていたような日々でした。後期高齢者となり、多少気持ちにもゆとりができたせいか、二つの文言を「うん、うん」とうなずく自分がいます。年を取るのもなかなかいいものです。
神さまの創られた自然に浸った7月27日の「ファミリーキャンプ」。大自然の豊かさに身を置き、祈りと賛美の時間は、会堂の礼拝とはまた異なった雰囲気の中で、神さまを身近に感じながら時を持てた事は感謝でした。少しは聖句ルカによる福音書12章22~29節の「思い悩むな」のみ言葉を、自分の事としてとらえられた気がしました。たまには身も心も解き放って、兄弟姉妹の皆さんと語り合いながら、野外礼拝が行われるようなその時を待っています。(H.A)2024年9月1日週報