最近読んだ本の中に、こんな一節がありました。
「バプテストはむしろ、人の内に聖書の御言葉を差し入れ、そのようにして内側から外へと人を突き動かすことをこそ第一のこととしました。」(金丸英子『バプテストの信仰』101頁、傍点筆者)。
「人の内にみ言葉が差し入れられる」とは、とても印象的な言葉だなと思います。本当にクリスチャンは誰もが、何らかの形でみ言葉が私の内に差し入れられ、私の内側で働いて、キリストの愛を生きる人生を生きているのだと思います。でも残念なことに、この経験は一回スイッチが入ったら永遠に動き続けるわけではありません。神さまはどうやら、私たちの内にバッテリーを内蔵してはくださらなかったようです。私たちの神さまは、私たちが毎日神さまという充電器に戻ってくることを求められる、寂しがり屋の神さまなのかもしれません。そうやって毎朝、キリストの愛を満タンチャージして、また今日も、差し入れられたみ言葉に励まされてキリストの愛を生きる一日を過ごせるのです。(柴田かおり)2026年1月18日週報
