ユージン・ピーターソン牧師が「礼拝の怠り」と題して言葉を残しておられます。
「礼拝の怠りは、その場しのぎで思慮に欠ける生き方へと引っ張り、その生き方は私たちをあらゆる広告、あらゆる誘惑、あらゆる世俗的継承の奴隷にさせる。礼拝なしでは、私たちは操られる人生を生き、また操る人生を生きることになる。私たちは恐怖に駆られてパニックに陥るか、あるいは欺かれ無気力になってしまう。
今、私たちはそのようになっていないだろうか。そして次第に見張られ驚かされながら、偽薬によって慰めを受けるようになる。そして人はこの世で流行している巨大な不安に押し流されてしまう。」
確かに私たちもまた、世界中を覆っている不安に押し流され、偽薬で慰めを受ける誘惑にさらされています。しかし、ど真ん中におられる主が二人、三人の交わり、そして礼拝を我々に与えておられるのです。礼拝に生きられる!なんと幸いなことでしょう。
「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中に(ど真ん中に)いるのである。(マタイによる福音書18章20節)」(柴田良行牧師)2025年5月25日週報