国と国との対話によって、戦火を鎮める道が探られようとしていた時、イスラエルとヒズボラの武力の応酬が激しくなり、その歩みは止められてしまいました。私たちはこの現実を前に、聖書をどう読むのかを問われています。イスラエルに生きる人々の命も、パレスチナに生きる人々の命も、神の前に等しく尊いものです。しかし、それは現代イスラエル国家の様々な軍事行動を無条件に正当化することではありません。
神さまの祝福は、キリストにおいてすべての民へと開かれました。ユダヤ人も、パレスチナ人も、ガザの子どもたちの命も、同じ神のかたちに造られた尊い命です。聖書の預言や終末の希望を、苦しむ人々の痛みを見過ごす理由にしてしまうなら、私たちは福音の中心から離れてしまいます。
教会は国家の主張を無批判に代弁する前に、十字架の主の側に立ちたい。暴力を正当化する信仰ではなく、正義と平和を求め、傷ついた者の隣人となる信仰へ、共に立ち帰ってまいりましょう。(柴田良行)2026年6月28日週報
