私の信仰の始まりは、光の子幼稚園に入園したことです。当時家族には一人もクリスチャンがいませんでした。当然、キリスト教会の幼稚園ということで、家族にいい顔をされない状況の中、母は私を入園させてくれました。ちょうど2代目の牧師 城間祥介先生が園長に就任された年でした。今、幼稚園で子どもたちに「先生も、光の子幼稚園を卒園したのよ~」と話すと、「へぇ?先生が幼稚園生だった時、恐竜生きてた?」と聞かれたりします。確かにはるか昔のことで、幼稚園時代の思い出は、少しおぼろげになってきましたが、幼い頃に天地創造の神さまがおられると教えてもらったことが、これまでの私の歩みを守ってくれました。
イエスさまは「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」とおっしゃいました。この御言葉を聞くと、ドキッとします。私は妨げる者になってはいないか?と思うのです。イエスさまは本当にそば近くに行きたくなる方です。小さい頃の自分を振り返る時、また幼稚園や教会学校の子どもたちと共に過ごす時、妨げるものがなければ子ども達はイエスさまのところに行くのだな~と感じることがあります。自分のこれまでの経験や知識や常識が、子ども達をイエスさまから遠ざけ、行く道を妨げることがないようにと思ってしまいます。
光の子幼稚園が加盟しているキリスト教保育連盟では、毎年夏に、キリスト教保育についての研修会が持たれます。ここでは学びの前に礼拝があり、全国から集まった保育者が共に祈り賛美し、お互いの存在に励まされ慰められ、恵みがいっぱいの研修会です。今年の開催地は鹿児島県でしたが、先月、光の子の保育者みんなで参加してきました。今回、私は永年勤続の賞状をいただきました。その賞状には「表彰状」とか「感謝状」といった文字ではなく、「保育証書」と書かれていました。
『 保育証書 あなたは 神さまの恵みのうちに(二十六年にわたり)保育を(実践し子どもと共に愛を)受けたことを証します 』
それは、卒園式で子ども達に手渡される卒園証書の文言であり、卒園の時期に毎年目にしているものでしたが、自分自身の名前が書かれているこの「保育証書」を見た時に、この欠けだらけの私も、子ども達と共に長い年月、神さまに育てられたんだな、幸せな時間を歩んできたんだなと感謝でいっぱいになりました。
光の子幼稚園を卒園して、教会学校に通い、私がバプテスマを受けたのは中学1年生の時でした。その時、「教会はキリストの体です。皆さんはその部分です」と教わりました。レンガを積むように自分も組み込まれ教会の一部分になり、また新しくバプテスマを受けた方も、その上に積み上げられていく・・・漠然とそんなイメージをもっていました。ある日の礼拝説教で、柴田先生が「新しくバプテスマを受けた方が首里教会に加えられると、これまでのものは、いったんほどかれて、組みなおされるのです。」とおっしゃったのが、とても強く心に残っています。あぁそうなのか!ほどかれ、加えられ、組み直されるのか!だから、その度に新しくなっていくんだ~と初めてその御言葉を聞いたような思いがしました。
自分のこれまでを振り返る時、バプテスマを受けた時に共に喜んでくれた教会の方々は、私が教会を離れた時期に、どれほど痛み祈っていてくださっただろうかと思います。そして祈られ育てられて、今日、こうして共に礼拝をささげられることを感謝します。(I.H)